僕自身、占星術師(占い師)であるにも関わらず、このブログではほとんどスピリチュアルな内容は書いていません。
理由は、スピリチュアルで人生をダメにしてきた人をたくさん見てきたからです。
人を迷わせる、誤解させる内容を伝えたくなかったのです。
後でも述べますが、スピリチュアルは本当に人を幸せにするのか?
この本質的な問い、そして答えを書いていきます。
幸せになるためにスピリチュアルを望み、実践し、けど人生が苦しい人に向けて書いています。
本当はあまり書きたくないスピリチュアルの記事。
ですが、ここ半年の僕の占星術鑑定で感じたことも含めて、伝えていきます。
ぜひ最後までお読みください。
スピリチュアルに囚われる人たち
スピリチュアルを生活に取り入れて幸せになりたい。
スピリチュアルで願望を達成したい。
スピリチュアルで思い通りの人生を手に入れたい。
そういう思いでスピリチュアル関連の本を読んだり、セミナーに行ったりしている人は大勢います。
もちろん、占いもスピリチュアルの一部です。
ですが、多くの人がスピリチュアルに囚われ、人生をダメにしたり、スピリチュアルを利用することによって人をさらにスピリチュアルに依存させていく現場を、過去、何度も僕は目にしてきました。
スピリチュアルで幸せになろうとしているのに、スピリチュアルで自分の人生を不幸にしている現実。
スピリチュアルは、その闇に非常に染まりやすいもの。
スピリチュアルを盲信し、スピリチュアルで周りが見えなくなり、結果、孤立する人生を送ってしまう。
さらに、孤立した人生、何よりそんな寂しい心をスピリチュアルで埋めようとさらにスピリチュアルにはまっていく。
この記事をお読みになっている方の周りの方、もしかすると自分自身がそうなっていることに気づいている人もいるはずです。
スピリチュアルは本当に使いこなせるのか?
多くの人が願望達成や自分の苦しみの解放を目的にスピリチュアルの力を手に入れようとしたり、活用しようしたりとしています。
ここで一つ確認したいことがあります。
スピリチュアルは本当に使いこなせるのでしょうか?
ということ。
結論から書けば、そんなことはできません。
スピリチュアルで自分を、自分が今生きている世界を(完全に)コントロールするなんて不可能です。
意外とこの視点を忘れている、もしくはそもそも目を向ける気がないというのは多いと思います。
都合の悪い事実に人は目を背けたくなるものです。
それは普通のことでもあります。
ですが、誰でも、すぐに、簡単にスピリチュアルな力を手に入れられると伝えるのは不誠実であり、多くの人の人生を誤らせるをことを喧伝するすることは賛成できません。
現に、スピリチュアルを使いこなしていると称している、もしくはそう取られても仕方のない表現をしている人もスピリチュアルで自分の人生を思い通りに、なんて人は一人もいないはずです。
占星術でスピリチュアルは8宮(ハウス)、12宮(ハウス)が該当します。
この8宮、12宮はホロスコープの持ち主である自分自身からすると、アバージャン(嫌悪、見えない)の位置にあります。
見えない(見えにくい)、感じられない(感じにくい)位置にあるのが、8宮、12宮であり、当然、その意味であるスピリチュアルは使いこなせないのは自明のことなのです。
スピリチュアルの才能を持った人の苦悩
一方、スピリチュアルの才能を持って生まれた人、もしくは後発的にその才能がある人がいるのも事実です。
大きくは以下の4つが該当します。
- 家系的に霊媒を生業、もしくは霊媒に近い仕事を請け負ってきた
- 祖父、祖母のうちいずれかがスピリチュアル的な才能があった(才能は一世代跨いで孫に受け継がれる)
- 幼少期、壮絶な体験をしてスピリチュアルな才能が身についた
- 過去世等の影響により、才能を持った星の下に生まれた。
逆を言えば、こういう人でなければスピリチュアルの才能を身につけるのは現実、非常に難しい。
実際の話、身につかないことがほとんど。
そして、何より大切なのが、スピリチュアルな才能を持った人の多くが、人生、かなり苦労しているという事実です。
- 人が感じなくてよい相手の悪意を感じて精神がおかしくなってしまう
- 土地や家に染み付いてしまった怨念を浴びてしまう
- 霊障に遭いやすい
- 自身のエネルギーが乱れた時、悪縁を引き寄せやすくなる
- 人から依存される
もちろん、経験や修行を経て、こういったことが自分に、身の回りに起きなくなっているスピリチュアルな才能の持ち主がいます。
ですが、その経験、修行も、多くの人が想像できないぐらい辛く、苦しいものなのです。
1年や3年といったスパンでは不可能です。
長い年月をかけ、ようやく平穏な人生を送られるようになったスピリチュアルの才能を持った人もいるというのが真実です。
スピリチュアルなものに憧れを抱く人ほど、こういった事実は知っておかないといけません。
多くの人が想像する以上に、スピリチュアルな才能を持った人は苦労している、もしくは苦労してきた人なのです。
スピリチュアルに甘えている人たち
自分にはスピリチュアルな才能があると思っている人の中に、一部、大変危険な考え方を持ち合わせている人がいます。
具体例を挙げると、自分が誰かにひどい迷惑をかけた時に、
相手は(自分が迷惑をかけたことによって発生した)体験をする必要があった
という考え方を持つ人です。
※ひどい体験というのは、不倫、破産、一家離散、致死、体に障害を抱えるなどと読み替えてください。
つまり、相手に迷惑をかけようが、苦しもうが、辛い思いをしようが、それは相手が必要としているからであり、
自分にはその責任はない、必要だからやったにすぎない
というものです。
本当にそうでしょうか?
本当に自分に責任がないのでしょうか?
本当に自分に非がないのでしょうか?
答えはNoです。
それは単にスピリチュアルな思想に甘えているだけです。
理由は明白です。
人から恨みを買うからです。
迷惑をかけた相手から私念、怨念、生霊を迷惑をかけた側は必ず浴びます。
そうなった場合、その念は自分にやってくることがあります。
もちろん、迷惑をかけた相手からの念が自分にやってきて、その念の作用により自分の人生を狂わせるようになってしまうのは当たり前のことです。
相手に迷惑をかけたのですから、その反動が自分に来るのはわかりきっていることです。
しかし、さらにやっかいなのが、相手の強力な念が自分には直接向かってこないケースです。
相手の強力な念は、自分の最も弱い自分以外の誰かに向かいます。
一番多いケースが、孫、です。
孫に相手の強烈な念が向かいます。
人生苦しんでいる人のお話を聞くと、祖父、祖母の方が人からひどい恨みを買っていたという事例は多数あります。
もちろん、孫だけではありません。
自分の子供かもしれません。
自分の恋人かもしれません。
結婚相手かもしれません。
仲間かもしれません。
自分が大切に思っている人に相手の念は向かいます。
これほど苦しいことはありません。
相手に迷惑をかけた後、今度は自分じゃなく自分が本当に弱いところに向かい、自分じゃない誰かが苦しむ人生を送ることになる。
それほど人の私念、怨念、生霊はやっかいなのです。
これはスピリチュアルを知っている人であれば有名な話であり、端的に言えば、いろはの「い」、わかっていて当然のことです。
ですが、スピリチュアルな思想に甘えている人は、自分に都合よく解釈するが故に、こんな基本すら見落とします。
基本を見落とし、自分勝手に生き、人に迷惑をかけ、自分じゃない誰か大切な人が苦しむ人生を送る原因を作っている。
これがスピリチュアルに甘えている人が迎える結末です。
本当に恐ろしい話です。
スピリチュアルの罠
スピリチュアルには確実に罠が仕掛けられています。
その罠とは、
スピリチュアルな思想を実践している自分は正しい
というものです。
その正しさは時に原理主義につながります。
自分と違った考え方の相手を否定することはもちろん、時にひどい糾弾、差別、攻撃的になります。
それで健全な社会は築かれるでしょうか?
不可能です。
これもわかりきっていることです。
その実、スピリチュアルは、その向き合い方が非常にセンシティブです。
先にも書いた通り、人生苦しんでいる人ほど、孤立している人ほど、誰も自分のことを理解してくれないと思っている人ほどスピリチュアルにのめり込み、結果、さらに苦しんだり、孤立したり、理解されなくなったりします。
そんな苦しみを生んでいる思想であれば、スピリチュアルなんて不要です。
捨てた方がいい。
容赦なく捨ててください。
僕たちが生まれてきた理由
ここで一つ確認したおきたいことがあります。
それは、僕らが生まれてきた理由です。
先に断っておくと、それは世間一般で言われるスピリチュアルな目覚めではありません。
一言で言えば、
現実を生き抜く
これに尽きます。
そして、現実を生き抜くために何が必要なのか?
それは、
成長
です。
僕らが生まれてきた理由とは、現実を生き抜くことであり、ひいてはこの世界で成長するために生まれてきたのです。
あくまで自分が人として成長するための一助としてあるのがスピリチュアルであり、成長を目的としないスピリチュアルははっきり言って意味がありません。
では、人して成長するとは具体的に何か?
- 社会が良くなるように働く
- 困っている人の力になる
- 家族や仲間を大切にする
- 命をつないでくれた先祖を大切にする
- 教育を提供する
- 食べ物を提供する
- 寄付をする
たとえ全てでなくても、こういったことが提供できる人へと成長することです。
けど、冷静に考えると、こういったことが提供できる人とは、
精神的にも、社会的にも成熟した「大人」
ではないでしょうか?
僕らが生まれてきた理由、それは、
現実を生き抜く→成長する→大人になる
というプロセスを経ることです。
願望を達成したい、夢を叶えたい、人から評価されたいというのは、僕たちが生まれてきたオプションに過ぎません。
本当の意味で大人へと成長し、現実を生き抜き、社会や家族や仲間や困っている人たちとともに協力しながら生きていくのが僕らが生まれてきた理由です。
本当のスピリチュアルとは?
本当のスピリチャルとは何か?
実は、これもわかりきっていることです。
現実を生き抜くため、成長するための教科書
なのです。
スピリチュアルとは現実を生き抜き、成長するための教育的な視点を持ち合わせないといけない。
スピリチャルとは「学び」が本質です。
学びのない、現実を生き抜くことを伝えない、成長を促さないスピリチャルに一切の価値は存在しません。
では、その学びとは一体何か?
一言で言えば、自分を知ることです。
- 今の自分には何ができて、何ができないのか?
- 何をもっと学び、普段の生活で実践しないといけないのか?
- 今、本当に成長させるべきことは何か?
本当のスピリチャルほど現実を教えてくれます。
今、この現実を生きる人に、真に学ぶべきポイントを教えてくれるのがスピリチャルです。
むしろ自分の欠点、弱点に目を背けてはいけないと教えるのもスピリチュアルなのです。
魂の成長と運命学、占星術
誰しも苦しい人生は送りたくないのだと思います。
誰しも辛い現実から目を背けたくなるものだとも思います。
誰しもなんでも思い通りになったら良いのにと思うものだと思います。
ですが、残念ながら今、僕らが生きているこの世界はそのようにはできていません。
それは受け入れるしかありません。
そして、この記事で一番伝えたいのが、
成長を追い求め、昨日の自分よりも成長する人にこそ幸せが訪れる
という真実です。
そのための教科書、手本になるのがスピリチュアルです。
その成長にこそ、真に魂(スピリット)が宿ります。
本当の意味でスピリチュアルを理解し、体験、体感したいのであれば、現実世界で生き抜き、成長をすることで大人になり、自分の内側にある魂を成長させることこそ本当の目的であるべです。
現実世界を生きることでしか、魂(スピリット)は成長しません。
現実世界を生きるため、成長するため、大人になるための運命学であり占星術です。
だからこの記事をお読みになっている方はぜひ、自分を成長させるためのポイントは何か? を探すために、そして、現実世界で魂(スピリット)の成長を実践するためにスピリチュアル(占い、運命学)と向き合ってみてください。
本物のスピリチュアル(占い、運命学)であれば、自分の成長を促す価値ある教えを提供してもらえるはずです。
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます。
最後に、この言葉を贈ります。
「幸せとは、成長した明日のあなた」
真中伸也